Facebook

Twitter

Instagram

ねぎびとブログ

栽培

いつの世も感覚を理論が追いかける。
理論の先にいきたければ感覚を研ぎ澄ますしかない。
今いる場所からもっと先へ行きたければ感覚を研ぎ澄ますしかない。
日々という最高の修行の場。
極端な集中力の先に、ある日辿り着く。
ある感覚が芽生える。
そこには根拠も理論もない。
未知の世界。
それらを根拠と理論が追いかける。
根拠と理論が追いつき初めて評価される。
葱と向き合ってどれくらいが経つだろう。
畑で一緒に朝まで寝た日もある。
最上川が氾濫し一緒に泣いた日もある。
何年前だろう。
多くの雨が降り、葱畑が水に浸かる。
仕方がないと言われた。
でも、
これが人間なら。
これが動物なら。
水路壊してでも水を抜くはずだ。
絶対に諦めなかった。
水路壊さずに全部水を抜いた。
そんな日もあった。
ずっと向き合ってきたからわかる。
葱は自分の影さえ嫌う。
隣に植えている影が見えている。
水を酸素を取りに行く根の姿が見える。
農家は人間の決めたルールの為に葱に土をかけた。
いっぱいかけて白い部分を作る。
でも、本当は葱は土をかけてほしくない。
苦しいんだ。
その年齢、その大きさによって必要分の
土がほしい。
根の周りに。
酸素を取り入れるために。
誰も信じないだろう。
葱が土をかけてほしくないなんて。
だけど、葱は土をかけてほしくないんだ。
誰も信じないだろう。
僕らがやっているのは栽培。
葱は産まれて約2ヶ月で畑という大海原へ出る。
そして、そこから約4ヶ月で畑を卒業し、
みんなの元へ。
栽培。
栽培。
栽培とは勝手に成長しているものを支えるわけでも、手助けするものでもない。
僕が出した結論は
〝栽培〟とは共に生きるということ。
彼らは中国で生まれ名前は〝気〟と名付けられた。
日本へ来る時に〝根〟を食べる〝気〟
だから、〝ねぎ〟と呼ばれるようになったんだ。
だけど、誰も知らない事実がある。
僕らが食べている白根の部分は実は
〝葉〟の一部なんだ。
だから、正確には〝はぎ〟と呼ばれるべき
はずだったんだ。
共に生きていると彼らが過去を話してくれる。
栽培とは共に生きるということ。
この結論が産み出す行動こそ理論の先にいけるのかもしれない。
理論よ追いかけてこい。
根拠となり世界中に広まれ。
初代葱師

更新日:2018年09月03日